つつじの季節になると・・・
早いもので、家内が天国に旅立って三年。
入院中の家内への見舞いは、デジカメで撮った写真の話題が多く。
桜が満開の時も、写真に収めて「来年は花見に行こうね」と話し、お店で撮った写真では、お店が賑わった事をいつもニコニコしながら聞いてました。
つつじは家内が最後に見た写真。
「暑くなるまでに退院しないとね」と、言うと「頑張る」と、リハビリに励んでました。
そんな家内が翌日様態急変。深夜天国に旅立って行きました。
過去に何度も血圧が下がってICUに移動した時も、抗生剤で立ち直って来た家内。
死を覚悟したのは、病院から危篤の電話がかかってから天国に召すまでの三時間。病院に着いた私に「今度ばかりは延命は難しい」と、冷酷な宣告が待ってました。
もっとも、余命数ヶ月と宣言されていたなら、私は余命僅かな家内と作り笑顔で接しながら辛い長い時間を過ごさなければならなかっただけに、本当の悲しみが襲って来たのは、亡くなってからでした。
つつじの写真を見た後の帰り際「今夜は何食べるの?」「王将でも行こうかな」「ごめんね。ご飯作ってあげれなくて・・・」
実家通いでOLをしていたので「料理は苦手」と、言っていた家内が、テレビの料理番組でメモを取ってレシピに忠実に創った手料理。
「どう?美味しい?」「うん」「じゃ。レパートリーに入れていい?」
食器棚の下から出て来た手書きのレシピ。家内の手帳と一緒に仕舞っています。
私と付き合った時から始めた十八冊の赤い手帳。辛くてまだ中が読めません。
先日、留守番電話の録画時間が残り一分になっていて消去する前に確認すると、懐かしい家内の声。
家内の声が聴けるのは唯一これだけだったのですが、思わぬところで家内の声が聴けた留守番電話。消去する前に動画で撮ってパソコンとUSBに。
内容は病院から持ってきて欲しい物の伝言でしたが、病院に詰めていた頃を想い出し涙が止まりませんでした。
今日(24日)は家内の命日。
お墓参りから一日のスタートです。
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