今年もコロナの影響でOB会は中止

会社は、二十年ほど前に倒産してなくなってしまったのですが、毎年創立記念日の前後に「OB会」が開催され、神戸支店の職員さんが一同に集い近況を語り合う宴があったのですが、昨年、今年と新型コロナの影響で開催中止。
毎年行われる会場の「元町がんこ寿司」の前を先日通ると取り壊し工事をやっていてどうやら閉店。これもコロナの影響か・・・
写真は、2012年のOB会。当時は四十人以上の職員さんが集い賑やかな宴だったのですが、毎年参加者が減って行き三年前、交通事故で入院中だった為、参加できなかった時は参加者14名だったそうです。
それもその筈。私が入社した翌年からリストラが盛んになり希望退職を募っていたので、私達の後に社員が入って来る事なく。私達の世代が一番の若手。いつまで経っても下っ端なのです。
もう七十代、八十代、それ以上のご老人。
毎年、会の最初に司会者兼幹事さんから、参加できなかった職員さんの近況と、お亡くなりになられた職員さんのお名前が読み上げられ。
「あ~あの方亡くなったのか・・・」と、年々寂しい会となって行きました。
私を裏口入社させてくれてフィリピーナの彼女を紹介してくれたTM先輩も、この年に「病気でお亡くなりになりました」と、訃報を聞きました。
この年、病気で退職されて東京から神戸に帰ってられたのが、私が社員時代に一番お世話になったTG先輩。親父の会社の倒産、破産で夜逃げした時も、矢面に立って債権者とやり合ってくれた生涯の恩師が入院中で出席できなかったので、お見舞いがてらOB会の写真をお届けすると、「みんな元気にやっとるやないか」と、大喜び。「来年は、先輩も一緒に参加しましょうね」と、約束。

写真は、先輩と最後のデュエット。途中で体調が悪くなり「柴っちゃん、ちょっと具合が悪いんで先に失礼させてもらうわ」と、タクシーを呼んでお見送りしたのですが・・・
この年の十月に天国に旅立たれました。
「来年は参加できるかわからんから・・・」と、ポツリと漏らしていた先輩。余命を告げられていたのかも知れませんね。

つい先日、ショートクことⅠ氏(写真右)から聞いた話によるとN先輩(写真左)が亡くなったそうです。
N先輩と言えば、新入社員の頃。会社のガレージにいると、「何しとんや。飛び込みに連れて行ったろ」と、先輩の車の助手席に乗せられ。てっきり飛び込み営業(名刺を持って片っ端から訪問して行く営業)と、思ったら着いた先は尼崎競艇。
人生初めて競艇場に行ったのは、この時が最初。
「ええか。このメンバーーはコース取りで競り合うから必ずインが深くなる。狙うのはカドや!」
「えっ?カド???」私にとっては、どこがカドなのかさっぱりわからないまま敗戦。
「今日はあかんかったけど明日は勝たしてやるからな」
「えっ?明日も連れて来られるの」(心の中で呟いてましたた。 怖くて断りきれなかった)
しかし、だんだんと仲の良かった先輩達がいなくなってしまいます。
写真右は、同期入社のショートクことⅠ氏。
彼とは、仕事ではライバルだったけど、趣味がギャンブルと野球。
よく一緒に競馬場や競輪場、パチンコ屋へも行ったし。草野球でも同じチームで汗を流した仲。
私が会社を辞めて夜逃げした時も、家族と住む自宅に囲ってくれたし、「いる物があるんやったら書け。俺やったら大丈夫やから取って来たる」と、債権者に追われる私に代わって荷物を取って来てくれました。大量のダンボール箱に入った競馬新聞も彼だから「必要」が理解できたと思います。
「どこ行くねん」
「いつまでも世話になってる訳にいかんから・・・どこか住み込みで働かせてくれるとこを探す」と、神戸を離れようとした時も「お前!どこへも行くな」と、引き留めてくれて企画開発課の皆さんに相談。先輩名義で公団を借りてくれたり、事情のわかった社長さんの会社で働けるよう世話して頂きました。「債権者に見つかったら俺に連絡して来い。いつでも出て行ったる」TG先輩の言葉が私を勇気づけてくれました。
もし、I氏が引き留めてくれなかったら、どこか地方都市のパチンコ屋さんで店員として働いていたでしょうね。
そして、彼がいなかったら、その後勤めたフルコミッションの会社で営業に行き詰まりコンビニでバイトする事もなかったので、バイト先でタボちゃんとも知り合う事もなかった筈。
「柴ボンリーグ戦やろ!」と、タボちゃんの発想で誕生した草野球ハーバーリーグもなかったし、「柴ボン、競馬のBARやろ!」と、共同経営で始めたK-BARもこの世に存在しませんでした。
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