定年後の仕事

メトロ.jpg先日お客様から「垂水の上州屋閉店しましたね」と、聞きました。

上州屋と言うのは、父が手掛けていた手打ちうどんの店で、垂水店の閉店で父の息がかかったお店は平和台の「貴船」一軒だけになりました。

父がまだ貿易会社を経営していた頃。取引先に出張をしていた群馬県の桐生市で、うどんの美味しい店と出会います。

麺類好きの父が兼ね兼ね「やりたい」と、思っていたのが手打ちうどんの店。

「神戸に美味しいうどんを食べさせる店がない」と、桐生で見つけた「手打ちうどんの店」から若い職人を連れて帰りお袋にレジ番をさせて始めたのが上州屋。

当時、ビルの三階にある店舗に階段の滑り止めが取れてしまうほど行列が出来て話題に。

やがて、同じ並びにある喫茶店の権利を買い取ってうどん屋に改装。市役所前に三階の本店と一階の支店でお昼時は行列の出来る有名店でした(当時、すぐ傍に国際会館があったので、公演の度に藤田まことさんが食べに来られてました。高田美和さん、西崎みどりさん、井上順さん、はな寛太今寛大さんや、コメディーNo1のお二人も来られた事があって、楽屋に出前も持って行きました)。

その時のコック長が垂水店の店主で、私の中学時代のクラスメートの父親でした。

やがて「独立」の為、お店を退職。垂水の銀座通りに上州屋を開店。その後息子(私の同級生)が本多聞に上州屋垂水店の支店を開店。盛業されてました。

父のお店では、修行して独立して行く見習いが絶えずいて、元町、西宮、花隈、水道筋、神若、平和台と、県内に九店舗あったのですが、今残っているのは、父の親友で桐生からご家族で神戸に引っ越されて来た平和台の貴船さんのみ。今はお父さんが亡くなられて息子さんが後を継がれています。

垂水店の店主も、お父さんが亡くなられて後を継いだのが息子で私のクラスメート。

中学時代は、柔道部のキャプテンで、大学時代には私の部屋でよく麻雀をした仲間。

何年か前には、私の店へやって来て「税務署に六百万いかれた。柴田、売り上げだけはごまかすなよ」と、私にアドバイスしてくれたクラスメートも、今年で六十七歳。体力勝負の手打ちうどんで、年齢的に引き際と考えたのでしょうか? 子供達も後を継がなかったのか?

前置きが長くなりましたが、常連さんにお伝えしているように、私もあと三年で引退を考えています。

会社員に定年はあっても商売人に定年はない。

引き際は自分で決めなくてはなりません。

「仕事一筋」で、死ぬまで仕事を全うしたいと言う素晴らしい人生観をお持ちで商売人の鏡のような方もいらっしゃいますが、私はヨボヨボになるまで仕事を全うしたいとは思いません。

健康年齢と言うか体が元気なうちにいろいろやりたい事もあるんです。

旅行もしたいし、映画も観たい。もちろん競馬は一生の友達。やめませんよ。競馬場も頻繁に行きたいし地方競馬で行ったことのない競馬場も旅行がてら訪ねたい。

そして引退後のお仕事としては、メルカリ(ヤフオク)を本格的にやりたいと思っています。

つい先日、千夏ちゃんに見せてもらったのですが、競馬グッズなんかは「こんな物まで売りに出されているの?」と、思うような競馬場やウインズで配られていた物や週刊競馬ブックなどもあってびっくり。

これならうちにあるお宝(競馬グッズ)は、結構な値段で売れそうだし、何より五十年前の競馬新聞などマニアには喉から手が出るほど欲しいもの。きっと、それなりの生活費になると思うので終活を兼ねて家の不用品と共に処分しようと思います(持って死ねないのでね)。

今は、仕事に追われてまったく手につかないけど、引退後は本格的に着手。売れた代金で海外旅行なんか行けたら最高です。

たくさんの想い出が詰まったお店もあと三年。フルスイングで頑張ります!

写真は、メトロ神戸で見つけた壁画。

懐かしくて写真を撮っちゃいました。幼い頃、親父の会社の会計をやっていたおばちゃんに連れられてそごうのパーラーでパフェを食べておもちゃを買ってもらった頃を想い出します。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック