一番閲覧数が多かった日記
おはようございます。
週明けに週末の模様をお伝えしているマスターの日記。
先週から阪神開催と言う事で、日曜の夜も臨時営業していて、嬉しい事に超満員。マドンナのいる土曜よりたくさんのお客様にお越し頂きました。その模様は、後日の日記でお知らせするとして、本日は「ホームページ更新情報」の予定でしたが、昨夜も深夜まで仕事でクタクタ。週末は睡眠時間を割いて仕事をしているので帰宅後ぐったり。
これからホームページ(イベント)の更新作業に取り掛かるとあって、ちょっと本日中に完了するのも厳しいかも?と、早々にギブアップ。
そんな時、いつものように「〇月〇日と言えば・・・」日記(アメブロ)を執筆中に出て来た写真にヒント。
そう言えば、六年前の二月八日に元調教助手で競馬ライターの小林常浩さんが亡くなられた事を書いた日記が出て来ました。
この日記は、K-BARマスターの日記史上一番拝読された日記(ホームページのウェブラリー日記の閲覧数だけでも3000アクセスを超えてました)。
恐らく、お店の常連様だけでなく競馬関係者の方や一般の競馬ファンの方も多く見て頂いたんだと思います。
そんな訳で、「マスターの日記」史上一番たくさんの閲覧数を記録した日記を改めて掲載することにしました。
ここからは、2017年2月14日の日記です。さぁ、イベントの更新に取り掛かろう(汗)
ターフライターで、元調教助手。小林慎一郎ジョッキーの父でもある小林常浩さんが、八日の午後七時お亡くなりになられました。
ラジオ関西の「競馬名人」と、言う番組のMCをされていたので私達は名人と呼ばせてもらっていたのですが、オープン当初の毎日新聞に掲載された私の店の記事を見つけていち早くお越し頂いたのが小林名人。
番組がある土曜日に、いつもラジオ関西のスタッフを連れてお越し頂き、開店当初の閑古鳥が鳴くお店を盛り上げて頂きました。当時、まだ調教助手だった矢作先生を紹介して頂いたのも小林名人。
話がおもしろい名人に会いたくてファンが一同に会し土曜日の夜が盛り上がったのは言うまでもありません。
昨日は、栗東トレーニングセンターの施設内にある会館で行われたお通夜へ最後のお別れに行って来ました。
喪主の慎一郎さんに聞くと、昨年末から体調を崩し、入院されていたようで、最後は眠るように息を引き取られたようです。
「毎年、年賀状を頂いていたんですけど、ここ二年ぐらい我が家は不幸続きで喪中葉書を出していたんです。今年は、年賀状を出せる年だったのですが、そんな折、名人から喪中葉書が届いて・・・お父さんが亡くなられたんですよね」「まだ喪中葉書を出す年末までは元気にしてたんですが・・・」
日刊スポーツで連載されている「自信、馬なり、家事、親父」も休載がちで、入退院を繰り返されていたようです。
喪主を務める慎一郎さんは、笑顔で対応されていましたが、妹さん?でしょうか、お父さんが亡くなられた事で終始涙してました。
午後四時からと言う事で、参列者は一般の方が多いのか?あまり見覚えのあるお顔は拝見できなかったのですが、お供えのお花は、某有名馬主さんを始め、調教師の先生、ジョッキーの名前もたくさんあって、小林さんとのお付き合いが深かった人達と、小林さんの人となりがわかります。
お通夜式が終了したのが五時前。まだ、競馬が終了したばかりで、競馬関係者の方達は、今夜から明日の告別式にかけて弔問にお越しになると思われますが、受付をされていたのが名人と馬事公苑時代同期の盟友桜井さん。
「栗東の見学会の時に、桜井さんのお世話になり自宅までお邪魔した」と、言うみっきぃさんが「ちょっと挨拶して来ます。僕の事憶えているやろか・・」と、桜井さんとご挨拶。
若い世代は知らないでしょうが、競馬歴43年の私なら現役時代も知っている桜井さんは、元ジョッキーで新人賞も取られた方。
昨日は、ちょうどバスが行った後で、次のバス時間まで30分あると言う事から、桜井さんのご好意で草津まで送って頂きました。
その車中で、意外な繋がりを発見。その事は伏せておきますが、桜井さんは現在村山厩舎の調教助手。
「村山厩舎なら、コパノリッキーを担当されている木戸さんが、何度かお店にお越しになっているんですよ」
「そうですか。今度、またお店にも行かせてもらいます」(言い忘れたけど、愛馬ジャイアントリープ号も村山厩舎。桜井さんに調教をつけてもらっていたかも)
そう言えば、22歳の時に北海道旅行に行った時、青函フェリーでばったり会った工大生(私が中退した大学)の後輩と競馬の話で盛り上がり「僕、桜井ジョッキーと中学のクラスメートなんですよ」と、言う昔話も車中の短い時間ではできずで、もし今度お店にお越し頂けた時には、青函フェリーで撮った写真を見てもらおう。
写真は、栗東の会館で名人主催で行われた「有馬記念検討会」。もう十年近く前でしょうか?
そこには、太平洋さん(現 旭道南鷹)や、矢作先生の顔も。
土曜日の夕方放送のあるラジオ関西の番組「競馬名人」の聞き手でもある三木麻愛ちゃんを始め番組スタッフと毎土曜週夜にお越し頂いていた名人(写真)。
阪神開催ともなると、栗東に帰らずお店の近くのホテルに泊まり翌朝阪神競馬場に行かれてました。
日記の最後に、そんな名人のエピソードをひとつ。
スタッフとの飲み会を終え、一度ホテルに戻りマッサージを受けてから再びお店に来られた名人。
「あれ?みんなは」
「もう帰られましたよ」(時刻は既に閉店時間の一時前)
「まだ飲んでもいいか?」
「いいですけど、名人、野郎二人で飲むのもなんですし、どうですか私の行きつけの店に行きませんか?」と、お誘いして「名人、僕はシーバスしか置いてないんで、今日はシーバスで我慢してくれませんか」(名人はヘネシーを飲まれてました)
「いい、いい~」と、納得してくれていたと思っていたら、店に着いた途端「おい、ねぇ~ちゃん。ヘネシー持って来い!」「いやいや、名人今日はシーバス飲みましょうよ」「いい、いい~金は俺が払うから」と、強引ヘネシーを卸し競馬の話を熱く語るも競馬の店でないお姉ちゃんには「????」
午前三時お店が閉店の時間になっても飲み足らない?名人。「どこかやってないか」と、店を探すもようやく見つけたお店を「会員制です」と、断られ「名人もう帰りましょ」と、タクシー乗り場の前でタクシーに乗ろうとする名人。
「名人、ホテルそこですよ。歩いても五分かからないですから・・・」「いい、いい~」と、乗ろうとする名人。「それなら横断歩道渡って反対側で流しているタクシーを拾いましょう」と、言っても聞かずにタクシーに乗り込み。
行先を聞いた運転手が窓を開けて「そこや!そこや!」と、名人に諭すも「てめぇ~乗車拒否すんのか!この野郎!」と車内は大騒ぎ(長時間並んでワンメーターを告げられる運転手の気持ちもよくわかる)。
あ~ぁ始まっちゃったよ。だから、せめて流しているタクシー拾おうって言ったのに・・・
タクシーは、手前の交差点でUターンすれば、ものの二分で到着するのに、交差点を直進して西へ西へと向かって行きました。
豪快で情の深いひとだった名人。天国でも自由に生きているんだろうな~。合唱。
週明けに週末の模様をお伝えしているマスターの日記。
先週から阪神開催と言う事で、日曜の夜も臨時営業していて、嬉しい事に超満員。マドンナのいる土曜よりたくさんのお客様にお越し頂きました。その模様は、後日の日記でお知らせするとして、本日は「ホームページ更新情報」の予定でしたが、昨夜も深夜まで仕事でクタクタ。週末は睡眠時間を割いて仕事をしているので帰宅後ぐったり。
これからホームページ(イベント)の更新作業に取り掛かるとあって、ちょっと本日中に完了するのも厳しいかも?と、早々にギブアップ。
そんな時、いつものように「〇月〇日と言えば・・・」日記(アメブロ)を執筆中に出て来た写真にヒント。
そう言えば、六年前の二月八日に元調教助手で競馬ライターの小林常浩さんが亡くなられた事を書いた日記が出て来ました。
この日記は、K-BARマスターの日記史上一番拝読された日記(ホームページのウェブラリー日記の閲覧数だけでも3000アクセスを超えてました)。
恐らく、お店の常連様だけでなく競馬関係者の方や一般の競馬ファンの方も多く見て頂いたんだと思います。
そんな訳で、「マスターの日記」史上一番たくさんの閲覧数を記録した日記を改めて掲載することにしました。
ここからは、2017年2月14日の日記です。さぁ、イベントの更新に取り掛かろう(汗)
ターフライターで、元調教助手。小林慎一郎ジョッキーの父でもある小林常浩さんが、八日の午後七時お亡くなりになられました。
ラジオ関西の「競馬名人」と、言う番組のMCをされていたので私達は名人と呼ばせてもらっていたのですが、オープン当初の毎日新聞に掲載された私の店の記事を見つけていち早くお越し頂いたのが小林名人。
番組がある土曜日に、いつもラジオ関西のスタッフを連れてお越し頂き、開店当初の閑古鳥が鳴くお店を盛り上げて頂きました。当時、まだ調教助手だった矢作先生を紹介して頂いたのも小林名人。
話がおもしろい名人に会いたくてファンが一同に会し土曜日の夜が盛り上がったのは言うまでもありません。
昨日は、栗東トレーニングセンターの施設内にある会館で行われたお通夜へ最後のお別れに行って来ました。
喪主の慎一郎さんに聞くと、昨年末から体調を崩し、入院されていたようで、最後は眠るように息を引き取られたようです。
「毎年、年賀状を頂いていたんですけど、ここ二年ぐらい我が家は不幸続きで喪中葉書を出していたんです。今年は、年賀状を出せる年だったのですが、そんな折、名人から喪中葉書が届いて・・・お父さんが亡くなられたんですよね」「まだ喪中葉書を出す年末までは元気にしてたんですが・・・」
日刊スポーツで連載されている「自信、馬なり、家事、親父」も休載がちで、入退院を繰り返されていたようです。
喪主を務める慎一郎さんは、笑顔で対応されていましたが、妹さん?でしょうか、お父さんが亡くなられた事で終始涙してました。
午後四時からと言う事で、参列者は一般の方が多いのか?あまり見覚えのあるお顔は拝見できなかったのですが、お供えのお花は、某有名馬主さんを始め、調教師の先生、ジョッキーの名前もたくさんあって、小林さんとのお付き合いが深かった人達と、小林さんの人となりがわかります。
お通夜式が終了したのが五時前。まだ、競馬が終了したばかりで、競馬関係者の方達は、今夜から明日の告別式にかけて弔問にお越しになると思われますが、受付をされていたのが名人と馬事公苑時代同期の盟友桜井さん。
「栗東の見学会の時に、桜井さんのお世話になり自宅までお邪魔した」と、言うみっきぃさんが「ちょっと挨拶して来ます。僕の事憶えているやろか・・」と、桜井さんとご挨拶。
若い世代は知らないでしょうが、競馬歴43年の私なら現役時代も知っている桜井さんは、元ジョッキーで新人賞も取られた方。
昨日は、ちょうどバスが行った後で、次のバス時間まで30分あると言う事から、桜井さんのご好意で草津まで送って頂きました。
その車中で、意外な繋がりを発見。その事は伏せておきますが、桜井さんは現在村山厩舎の調教助手。
「村山厩舎なら、コパノリッキーを担当されている木戸さんが、何度かお店にお越しになっているんですよ」
「そうですか。今度、またお店にも行かせてもらいます」(言い忘れたけど、愛馬ジャイアントリープ号も村山厩舎。桜井さんに調教をつけてもらっていたかも)
そう言えば、22歳の時に北海道旅行に行った時、青函フェリーでばったり会った工大生(私が中退した大学)の後輩と競馬の話で盛り上がり「僕、桜井ジョッキーと中学のクラスメートなんですよ」と、言う昔話も車中の短い時間ではできずで、もし今度お店にお越し頂けた時には、青函フェリーで撮った写真を見てもらおう。
写真は、栗東の会館で名人主催で行われた「有馬記念検討会」。もう十年近く前でしょうか?
そこには、太平洋さん(現 旭道南鷹)や、矢作先生の顔も。
土曜日の夕方放送のあるラジオ関西の番組「競馬名人」の聞き手でもある三木麻愛ちゃんを始め番組スタッフと毎土曜週夜にお越し頂いていた名人(写真)。
阪神開催ともなると、栗東に帰らずお店の近くのホテルに泊まり翌朝阪神競馬場に行かれてました。
日記の最後に、そんな名人のエピソードをひとつ。
スタッフとの飲み会を終え、一度ホテルに戻りマッサージを受けてから再びお店に来られた名人。
「あれ?みんなは」
「もう帰られましたよ」(時刻は既に閉店時間の一時前)
「まだ飲んでもいいか?」
「いいですけど、名人、野郎二人で飲むのもなんですし、どうですか私の行きつけの店に行きませんか?」と、お誘いして「名人、僕はシーバスしか置いてないんで、今日はシーバスで我慢してくれませんか」(名人はヘネシーを飲まれてました)
「いい、いい~」と、納得してくれていたと思っていたら、店に着いた途端「おい、ねぇ~ちゃん。ヘネシー持って来い!」「いやいや、名人今日はシーバス飲みましょうよ」「いい、いい~金は俺が払うから」と、強引ヘネシーを卸し競馬の話を熱く語るも競馬の店でないお姉ちゃんには「????」
午前三時お店が閉店の時間になっても飲み足らない?名人。「どこかやってないか」と、店を探すもようやく見つけたお店を「会員制です」と、断られ「名人もう帰りましょ」と、タクシー乗り場の前でタクシーに乗ろうとする名人。
「名人、ホテルそこですよ。歩いても五分かからないですから・・・」「いい、いい~」と、乗ろうとする名人。「それなら横断歩道渡って反対側で流しているタクシーを拾いましょう」と、言っても聞かずにタクシーに乗り込み。
行先を聞いた運転手が窓を開けて「そこや!そこや!」と、名人に諭すも「てめぇ~乗車拒否すんのか!この野郎!」と車内は大騒ぎ(長時間並んでワンメーターを告げられる運転手の気持ちもよくわかる)。
あ~ぁ始まっちゃったよ。だから、せめて流しているタクシー拾おうって言ったのに・・・
タクシーは、手前の交差点でUターンすれば、ものの二分で到着するのに、交差点を直進して西へ西へと向かって行きました。
豪快で情の深いひとだった名人。天国でも自由に生きているんだろうな~。合唱。
この記事へのコメント