父を想い出した報知競馬面の顔急逝

マドンナくじ.jpg周年二日目。と、言っても書いてる今は周年祭前日の火曜日ですが・・・汗

写真は、全曜日にマドンナが在籍していた時代のマドンナくじ。

周年祭と言えば「競馬お宝グッズ抽選会」が目玉イベントですが、くじの作成で失敗した年がありました。

手間暇かけて作成したのが枠色クジ。競馬の枠順色のクジを各色25枚用意(25x8=200枚)。

各枠に目玉商品を分散しての開催でした。

抽選券を一枚しか持たない少数派のお客様は初日からクジを引かれて当選した景品に悲喜こもごも。

ところが、抽選券をたくさんお持ちのお客様は、状況を見届けるだけで抽選に参加する事なくお帰りになりチャレンジは後日に持ち越し(周年期間中も抽選権を配布)。

そして、いよいよ周年最終日。

抽選券を多数お持ちのお客様がドーッと押し寄せ抽選会にチャレンジ。多い方で八枚お持ちのお客様から少ない方でも五枚程度抽選権をお持ちで当然大当たりの出る確率が高いのですが・・・

最終日ともなれば、当たり景品が引かれて外れ景品ばかり残っている枠もあれば、外れ景品ばかり引かれて大当たりが多数残っている枠もあって・・・

当然、引く枠クジは大当たりがたくさん残っている枠クジで・・・

大当たりの景品をごっそり持って帰られました(涙)。

来年開催できるかなぁ・・・

外ればかり残った景品で、翌年の抽選会の開催が危ぶまれたお宝抽選会ですが、窮地を救ってくれたのが当時在籍していた六人のマドンナ。

「〇子のお持ち帰り券入れて」「えっ!いいの?」

あるマドンナの提案で「お持ち帰り券」を入れる事になった抽選会。どうせなら「ハグ券」「ほっぺにチュー券」「膝枕で耳かき券」などを作成。六人のマドンナ達には許可を得られた券だけ作成。

そして抽選会。

お客様のほとんどが、競馬グッズの当たるグリーンのクジではなく、ピンクのマドンナクジ。

「お持ち帰り券って、持って帰ってどうしたらええねん」中には、女の子の扱いに慣れていないお客様もいて、そう言うお客様には「取り扱い説明書」をお渡しして説明させて頂きました(汗)。

「それにしても、よーやったな」と、言う綱渡り営業。深夜営業の許可は取ってますが、風俗営業の許可は取ってないので、下手すると営業停止に罰金? マドンナクジは一年で終了しました。

投票用紙 大西洋.jpgさて、先週から天井制限のない後半戦に入ったポイントダービーで、無効投票があったので、参加者の皆様に警鐘の意味も込めてお知らせします。

写真は、先週投票されたオーライさんの投票用紙。

前半戦は、「絶対外れない投票」として、複勝の全通り買いで、確実に得点を積み上げる作戦。

実際、この作戦で四度の優勝を決めているし、今回の投票が無効にならなければ首位に立っていた可能性もありましたが、残念ながらこのレースは、18頭立てで⑪番以外の馬に30Pなら510P必要。

お店では、10頭立てか11頭立てを捜してられたようですが、11頭立てなら三場で4レース。小倉なら第1レースが11頭立て。

おそらく1レースと11レースを書き間違えたのではないのか?と思うのですが・・・

いずれにしても、せっかく二度の来店で獲得した300Pを無駄にしてしまいました。

金曜日は、一口だけ飲んで十分で帰られたのですが、土曜日は珍しくたくさん飲んでいたので酔っ払ってたのかなぁ~(立って熱弁を振るってました)。

ただ、先週二度来店はオーライさんのみ。今のところ「お宝グッズ抽選会」を二回引けるのはオーライさんだけです。「さすが俺」代わりに言っておきます(笑)。

和田帰社.jpg最後の写真は、日曜日の報知新聞の記事。

いや~ぁ、びっくりしました。最近、和田さんの予想がないなぁ~。他の部署に替わったのかなぁ~なんて思っていたのですが・・・

私が初めて十万馬券を取ったのがメイショウデゾロが二着に来て大荒れになったマイルチャンピオンシップ。

報知新聞は、私の競馬歴と同じ五十年愛読しています。

阪神ファンの私がジャイアンツ一色の報知新聞を買い続けるのがお気に入りの競馬面。

当時、穴狙いの記者和田伊久磨さんのコラムは必ず読んで参考にしてました。マイルチャンピオンシップの十万馬券も和田記者のポツン◎が気になって買った賜物。

本紙の予想担当になってからは大振りがなくなったものの和田記者のファンでした。

本紙予想を後進に譲って、予想もコラムのみになったのは、そう言う事情があったのですね・・・おそらく病床のベッドで執筆されてたのかも?

そんな思いから五十八歳で逝った父を想い出してしまいました。

癌で余命半年と宣告されていた父。入院中の病院に週末競馬ブックを届けるといつも満面の笑みで迎えてくれました。

そして、病室での馬券検討会。シンザン記念で父と予想の被ったファンドリポポが勝った時には、大声を挙げて看護婦さんに「静かにしてください」と、怒られた事を想い出します。

そんな父が危篤と聞いて、「きっと競馬新聞を見たら元気になる」と、新聞発売を待って届けた病室には意識の戻らない父が横たわってました。最後に何も言葉を残さず旅立った父。シャダイカグラの勝った桜花賞前日に永眠。

和田記者は、まだ五十五歳の若さで天国に召されたのですね。一度もお会いした事ないけど、私の競馬の師匠的存在の方。ご冥福をお祈りします。合掌。

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